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Your search : [ author:文 楊士俊 写真 劉世昭] Total 5021 Search Results,Processed in 0.146 second(s)
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1. 腹掛け
黄土高原の陝西省の農村では、腹掛けを使う習慣がある。胸や腹を冷やさない用心に、もともと木綿の布で作る実用品だが刺しゅうの名手である陝西の女たちの美意識は、これを独特の民間芸術品に仕上げている。凝った刺しゅうの腹掛けは、若者も愛用する。白の上衣はわざとボタンをかけず、女たちの丹精こもる赤い腹掛けをのぞかせ、頭を白いタオルで包み、黒いズボンをはく伝統のいでたちはイキなものだ。夏じゅうまるはだかでいるワ
Author: 文 楊士俊 写真 劉世昭 Year 1989 Issue 11 PDF HTML
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2. 荷包
「荷包(ホーパオ)」というのは、身のまわりの小物を入れる小さな袋をいう。香包(におい袋)、煙荷包(たばこ入れ)、銭袋(財布)、扇袋、鏡袋など、用途はさまざまで、装飾品の一つとされている。ふくべ、如意、桃、ざくろ、花瓶などをかたどり、花、草、虫、鳥獣、人物、山水などをししゅうする。女たちは、知恵をしぼって身近な暮らしの中から図案を考える。「白菜をかじるきりぎりす」とか「桃の花に燕」とか、あるいは吉祥
Author: 文·楊士俊 写真·劉世昭 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
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3. 歴史と文化の息づくまち 古風な中にもみなぎる生気
貴州省貴陽市から南へ二十九キロのところに完全に保存されている古い町·青岩鎮があり資料によると六百年余の歴史をもつという。貴州には古くから伝わる四つのことばがあって、一打鼓(金沙鎮)、二永新(湄潭鎮)、三茅台(有名な茅台酒の産地)、そして次に四青岩と続くように、青岩鎮は歴史上貴州に重きをなす四つの町の一つである。青岩は昔この一帯の経済文化の中心地であったことから、広西への通り道の頃の古い石畳が今もな
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 2 PDF HTML
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4. 冊亨―プイ族の集落と芝居
安竜県を後にして、雲南省の昆明と広西チワン族自治区の南寧をつなぐ自動車道路を今回最後の取材地、冊亨県に向かった。道はやはり悪く、一〇〇キロ足らずなのに半日もかかった。この一帯はプイ(布依)族の集落で、私はまず秩壩鎮に行き、鎮長の岑さんの案内で板用寨の取材をした。ここのプイ族の家はほとんどが山を背に、川の近くに建っている。車を下りると、田んぼで村びとが稲刈りをしているのが見えた。小川の向こうの山の中
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 3 PDF HTML
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5. レフェリー変じて運転手
このミニバンタクシー、愛称を麵的(ミエンディ)という。的は的士(タクシー)の略、麵はパンのことで、ボディーの形がなんとなく食パンに似ているというわけ。いま北京には三万台の麵的が走っているそうだが、ここに登場願った王鎖立さんは、並のタクシードライバーではない。生まれは一九五六年。子供のころからスポーツが大好きで、とくにサッカーが得意、中学では全校チームの選手として活躍していた。だが、当時の先生の影響
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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6. 明代の兵士の子孫が生きる·安順
織金(チーチン)を離れ、烏江(ウーチアン)対岸の安順(アンシユン)市にやってきた。この町の歴史は春秋時代(前七七〇~前四七六年)にまでさかのぼる。そのときは牂牁(そうか)国に属し、戦国時代(前四七五~前二二一年)には夜郎国に属した。中国には「夜郎自大」という成語があるが、これは身のほどをわきまえずに威張ることを指し、漢時代(前二〇六~二二〇年)に西南にあったこの夜郎国の君主が、漢からの使者に向かっ
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1998 Issue 1 PDF HTML
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7. シャンハイの今を撮る
文化大革命が始まった一九六六年、紅衛兵の大串聯(ダーチユアンリエン)(革命を経験するための大交流)に参加して、私は初めて上海に行った。社会全体が混乱していた時期だから、この大都会に格別の印象を受けること億なかった。二度目は十八年後の一九八四年だが、写真記者として日本を訪問した帰りの船で着いただけなので、やはり印象が薄かった。しかし、九〇年代に入ると話は一変する。四回の訪問はすべて「驚き」の一語に尽
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1999 Issue 9 PDF HTML
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8. 攀枝花35歳 中国有数の重工業都市に
四川省の西南部、金沙江(長江の上流)のほとりに、戸数わずか七軒という小さな村があった。だが一九六五年、中国各地から十万人の建設者がここに集まり、五年後の一九七〇年、年産百五十万トンという中国有数の鋼鉄産業が産声をあげた。毛沢東主席がこの村の名前を尋ねると、「名前はありません。ただ村の入り口に攀枝花(はんしか)(キワタノキ)が一本あるだけです」という答えが返ってきた。そこで毛主席は、「それなら攀枝花
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2000 Issue 11 PDF HTML
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9. 桂林の粋を興坪に見る
桂林の山水は天下に甲す―。広西チワン族自治区の桂林は、中国で古くから知られる景勝の地だ。漓江が蒼い糸のようにカルストの奇峰の間を縫っている。唐の詩人韓愈はこの情景を「江青き羅帯(らたい)と作(な)り 山碧きこと玉簪(ぎょくしん)の如し」と描写した。そうした美しい風景を最も堪能できるのは陽朔県だろう。地元の人々の間には「陽朔は桂林の甲と称すに堪えたり」という言葉もある。桂林から陽朔に向かう舟の上。漓
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2000 Issue 12 PDF HTML
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10. 華やかに勇者を称える日
ザミ村は、雲南省紅河ハニ族イ族自治州の南端、金平県にあるダイ族の山村で、この地は、中国とベトナムの辺境にあたる。村の「男人節」に参加するため、私は昆明から汽車に乗り、七百キロ先の目的地に向かった。険しい山をのぼり、渓谷を越え、丸々一日半を費やして、ダイ族の山村にようやくたどりついた。それにしても男性の祭りとはあまり聞きなれないものだ。村についたその夜、私は今年六十歳になるダイ族の老人、李金貴さんを
Author: 写真 文·劉世昭 Year 2001 Issue 10 PDF HTML